寺山修司小伝 ◎後篇◎ |
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形になったのは昭和47年(1972)のこと。当の作者は高度成長を地でいくように世界へと「雄飛」していた。東大安田講堂攻防戦のあった年には、ドイツ演劇アカデミーの招きで渡独。またイスラエル国務省の招待でイスラエル演劇を視察に出かけた。 赤軍派ハイジャックのあった年にはロックフェラー財団の招きで渡米、アメリカ人俳優による自作「毛皮のマリー」を演出。 つづいてはナンシー国際演劇祭のため渡仏、パリ、アムステルダム、ロッテルダム。そのあと、ベオグラード、ミュンヘン、イラン、ポーランド、カンヌ、イギリス・エディンバラ、南仏ツーロン、バークレイ、スペイン……。 舞い上がっていた凧の糸が突然、切れる。故郷はボロ屑のように捨ててきた。そのはずである。とっくに用ずみの舞台装置のように。それはガラクタとして埃をかぶっているだろう。そもそも、どのような用を果たしたのかもさだかでない。たいていの大人は「ふるさと」などと呟くのを恥じて口にしなくなる。 寺山修司は望郷をうたいつづけ、語るのをやめなかった。『田園に死す』から7年後の『テーブルの上の荒野』では「脱走夢」といった言葉になっている。 艇庫より引きだされゆくボート見ゆ川の向ふのわが脱 走夢 寺山修司の望郷には、まったく独自のものがある。それは考えられるかぎりすべてにわたるたぐいのスタイルとデザインと比喩と装飾を借りて語られた。すべてにわたるとは、つまるところいかなる文学的装飾も受けなかったにひとしいだろう。それほどナマで、丸ごとで、語る当人自身がもてあまし、手をつかねた。だからこそ、ありとあらゆる意匠とともにあらわれた。 いまや繁栄がこの世を謳歌している。そのなかで彼は自分が、たえず疎外される側にある東北の出であることを片ときも忘れなかった。自分のなかの凍りつくような孤独感と生へのおびえ、それがこの一代の人気者を呪縛していた。自己憐憫などすれば当の自分を破壊する。聡明な寺山修司は、むろんそのことを知っていた。だからこそ自分の過去を一寸刻みに消していった。ところがそのさなかに、おなじみの郷愁が顔を出す。やにわに哀惜をなびかせて浮かんでくる。 憎らしいはずのものが、なつかしげに居座わっている。なんとも奇妙なノイローゼ的精神状態というものだ。となれば偽造の旅券をふところに、偽りの家系図をもって出ていくしかない。自分の影のモノマネにいそしむこと。 『家出のすすめ』と同じ年に発表した長篇詩は「ロング・グッドバイ」と題されている。「血があつい鉄道ならば/走りぬけてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう」といった語り出しで、「A列車」による脱走夢を語っている。声の無人地帯で老人たちがハーモニカを吹いている。汽笛狂いの母親、その耳元で「ポー」が鳴る。 さびしい天体望遠鏡のおとうとよ 暗い天球に新しい彗星を一つ発見するたびきみが地上 で喪失するものは何か? 「グッドバイ」が家出少年の口癖なのだ。文字のときは「さよなら」だが、口でいうときは少し気どってグッドバイ。その旅立ちに餞別はないが、いろんな言葉なら覚えている。それが耳元にもどってくる。 貰った一万語は ぜんぶ「さよなら」に使い果たしたい ともかく急ぐこと。ポーが鳴りひびいて出発をせきたてる。競馬エッセイの一つにも「ロンググッドバイ」という名の馬が登場する。四歳馬、九頭立ての九番人気であったのが、追い込みで勝ち、単勝の大穴をあけた。前のめりになって走り跳ぶようなへんなスタイルの走り方。ダービー戦線を突っ走っていた無敗馬を、五馬身もかわしてゴールに走りこんだ。馬券を握りしめた町工場の工員に、ワケ知りがささやいた。 「今日のレースに出走したのは、あれはロンググッドバイじゃなくて、他の馬だったんだ。誰かが、馬をすり替えて出走させたんだよ」(「おさらばという名の馬」) 工員は十二のとき、汽車にとび乗ろうとして失敗し、足をひきずるようになった。彼はポケットの外れ馬券をもみくちゃにしながら考える。今日走ったのが、もしロンググッドバイではなくて他の馬だったら、その馬はなぜ自分の名前で走らなかったのだろう。人気馬を負かすだけの力があれば、ダービーにだって出られる。それなのにどうして名前をかくして「他人」になりすましているのだろう? 寺山修司はそんなふうに自分と重ねるようにして「家出」した馬のことを語っていった。もしロンググッドバイが他の馬であったなら、その馬は何という馬で、どこから来たのか? 探索はあっさりと打ち切られる。ロンググッドバイが替え馬かどうか、どうでもいいことだからだ。要するに馬そのものが「人生の替え馬」なのだから。 |
ながのお別れ、ロンググッドバイ。永遠の家出少年がたえず呟いていた言葉である。 寺山修司、昭和58年(1983)5月4日没。享年47歳。 ‐完‐ 文■池内紀(出ふるさと記U――家出少年・寺山修司●「新潮」2005年3月) 構成■サン企画 |
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