| ◆三島事件とは◆ 三島事件を知らぬ若きサムライのために |
●総監室を背に正面玄関前広場に集まった自衛隊員達に蹶起の趣意をバルコニィ上からアッピールする三島由紀夫氏。三島氏の演説は報道各社の飛ばすヘリの騒音や自衛隊員の野次と怒号により非常に聞き取り難いものであった。● |
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| 昭和45年(1970)11月25日午前11時5分頃、「楯の会」会長・三島由紀夫(当時45歳)、同学生長・森田必勝(当時25歳)等5人は、東京都新宿区所在の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監部において、同総監・益田兼利陸将を人質とし、「自衛隊全員を本部玄関前に集合させ、三島の演説を静聴させること」等の要求を出し、バルコニーで、本部前広場に集まった約1000人の自衛隊員を前にして、「われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。……生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。……」というあの有名な「檄文」(*1)を読み上げ、総監室において三島と森田の両名が短刀で切腹した。死に際は、まさしく武士道のそれと似ていた。 引用文献■右翼問題研究会『右翼運動の潮流』立花書房 |
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