| 野村秋介覚え書き |
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| それは、平成5年(1993)10月20日の、その一点に向けて、見事なまで周到に計算され、演出されつくした「自決」であった。 その日、灰色の作務衣に和装用コート、純白の足袋、という出で立ちの野村秋介(58)が、四人の男を伴って朝日新聞東京本社(中央区築地)を訪れたのは、午前11時40分のことだった。 野村らはすぐに15階の役員応接室に案内されたが、そこには、中江利忠社長、橘弘道出版局長、山本博昭読者広報室長、穴吹史士『週刊朝日』編集長ら、朝日の六人が待ち受けていた。 軽く会釈してソファーに腰を下ろした野村は、同行者の一人を指さし、「私のせがれです」と、18歳になる息子を皆に紹介した。続けて、「実はこいつが高校を出るとき、尊敬するのは誰かと先生に聞かれて、自分の父親、といったらしいんですよ」などと楽しげに語り、しばし和やかな会話が交わされた後、橘出版局長がおもむろに、この日の本題に触れる発言を口にした。「今回の『風の会』とのトラブルに対しては、全面的にお詫びし、朝日新聞として正しい、日本の国のためになるような編集に努力します」……次いで穴吹編集長も同様の文言で謝罪を表し、最後に中江社長が、「朝日の全責任者である私が、代表の野村さんをはじめ、風の会の皆さん、そして風の会を支援した人たちに深くお詫びします」と、野村に向かって深々と頭を下げた。「天下の朝日」の首脳がこれほど丁重に陳謝しなければならなかった「風の会とのトラブル」とは、どのようなものなのか。その前に、野村秋介という特異な右翼活動家の軌跡を見てみよう。 |
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