| 追悼文集 |
| ‐4‐ |
| 三島が戦後世界の虚妄を痛撃するのを見るとき、ある意味では彼と対極にある存在として、臼淵磐という一人の青年の人間像が浮かび上ってくる。臼淵は三島より二歳、正確にいえば一年四ヵ月年長であるが、三島と似た都会育ちの俊才で、生来多分の稚気と人間味と洒落っ気を備え、芸術好き、哲学好きの香気を身につけた美青年であった。彼は父が海軍士官であった機縁から兵学校に入り、選ばれて戦艦大和に乗り組み、沖縄特攻作戦に参加して21歳で戦死する。
いかなる環境のもとにあっても、みずからを鞭打ってその職分に最善をつくすことが青年の本分であると考えるよう躾けられた臼淵は、絶望的な戦局の中で第一線指揮官の任務に精励しながら、同時に精一杯人間として生きようと苦心する。軍の中核に近い立場にあって多くの部下の生命を預かる身であればこそ、海軍社会の骨に巣くっている後進性、内容のない精神主義、物事の筋よりも因習、科学や技術よりも職人的修練が幅をきかす非合理さを知りつくし、それを少しでも是正することを願って、危険を冒してまで中央の権威に抵抗した。 彼は特攻出撃の前夜、若い士官たちの間に、自分たちがまだ春秋に富む若さのままで、帰趨の明らかでない戦争のために、目的も成功の目途も捉え難い愚劣な作戦のために死ぬということは、何を意味するのか、誰に対してどのような実りをもたらすのか、という疑問が提起された時、少壮士官を統轄する責任を賭けて次のように答えた。 ――進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。 敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか。―― 臼淵はれっきとした職業軍人であり、もとより彼の苦悩は、死ななければならないことにはなかった。むしろ死の意味を、自分にあたえられた職責を果たすことを通して、平和の日が来るまで日本人の同胞を守ることに見出していた。ただ、自分の死んだあとに来る世代が、力及ばなかった自分たち世代に代って、戦後の新生日本を正しい方向に導いてくれることを、切に念願するほかないというのが、正直な心境であったであろう。 彼が残した「真の進歩を重んじる日本」という表現が、舌足らずだといって笑うことは易しいが、臼淵の短い一生の言動の一つ一つを虚心に見るものは、人間が人間らしく生きることへの切実な訴え、人間が本当の意味で尊重される社会への強い憧れが、「進歩への願い」の一句に秘められているのを認めるであろう。 そのとき彼に苦悩があったとすれば、戦後の平和日本に対する彼自身の期待がどれほど切実なものであったとしても、それが実現する保証は何一つない、という不安感だったであろう。しかし確実な死を前にした青年が、自分の願望の行末が不確かであるといって嘆くのは、贅沢なのかもしれない。事実、自分の死を納得するには、ただそのような願望を吐き出して後の世代に託する以外に道がなかったからであり、呼びかける相手の後輩を持つだけでも、幸せと思うほかなかったからである。 こうして臼淵磐が、そして彼とともに多くの志ある青年が、死を代償に待望した輝かしかるべき日本の戦後社会は、同世代の中の最も傑出した才能、三島由紀夫によって、完全に否定されるに至るのである。 しかしそのことは、三島が臼淵と全く異る地点に立っていることを意味しない。たとえば三島が全共闘への共感を表明し、――彼らが提起した問題はいまでも生きている。反政府的な言論をやった先生が、政府から金をもらって生きているのはなぜなんだ、ということだ。簡単なことだよ――と指摘するとき、彼は、臼淵の心情に近い場所に位置しているはずである。 |
| ‐5‐ |
| さて戦後社会の否定から、文学者ではなく思索する武人としての三島が天皇への傾倒に徹するまでの道筋は、論理として明快である。戦後社会にただ空虚さを、現代文明にただ道義の退廃をしか見ることの出来ない三島は、天才児らしい性急さと潔さをもって、現世はもはや尋常な手段では救済する余地がないと絶望するところまで、自分を追い詰める。――この頃は何だか知らないが、無性に腹が立つ――という告白は、すでにモノカキの落着きを失っている。
そのあげくに、革命が必要になる。一切の虚妄を突き破るために、道義の基本、強固な倫理体系の確立が必要になる。そしてこの変革の原理をなすものが、民族の連続性を体現する存在としての天皇、文化共同体の象徴的概念としての天皇である。別の言い方をすれば、西欧化への最後のトリデとして、その腐敗と堕落に対抗する悲劇的意志が天皇なのであり、天皇が否定され、あるいは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の、また日本文化の真の危機である、と彼は強調する。したがって実体である天皇制、人間天皇は、彼の認めるところではない。 彼の理念が描くこの天皇という象徴の落とす影の中に、観念としての自衛隊が姿をあらわす。三島は例の「檄」の中で説いている。――日本の軍隊の建軍の本義は、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しない。(略)われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。(略)われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることがないのを信じた。―― 一方みずから戦場におもむき、「天皇の名のもとに」生命をなげうった青年たちの場合は、どうだったであろうか。たとえばさきに触れた海軍大尉臼淵磐は、われわれの知る限り、天皇に関する言葉を残していない。一片の感想も漏らしていない。当時のきびしい情勢の中で、自分のあり方を真面目に見きわめようとした軍人は、天皇についておそらく同じ態度をとったであろう。彼らにとって、天皇はその存在の是非を論ずる対象ではなかったのである。自分が確信する目標に向って最後まで忠実に行動することが、彼らの最大関心事だったのであり、天皇はそのための努力をより確実なものとする、規範の一つに過ぎなかったのであろう。 三島が自衛隊に全幅の信頼を寄せたのとは対照的に、帝国海軍の実態について、臼淵が内部告発者の眼で痛烈な批判をあえてしたことは、前にのべた通りである。 |
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